沙也加(仮名)は男子スタッフからすると手がかからない非常に接しやすいタイプのソープ嬢だった。

そして、それはおそらく、客の立場としてもそうだろう。

実際に、指名を多くとれる泡姫だった。


沙也加が口にしていた言葉は微笑ましいものが多かった。

きっと、彼女を指名した全ての客が、いや、風俗店を利用したことのある全ての男が、風俗嬢がこういった想像力を持っていることに好感を抱くだろう。


沙也加
「昨日、うちの店の総額で、どんな旅行に行けるか考えたの。沖縄3泊4日極上リゾートホテルとかになっちゃうの。お客さんにとって、私に会う2時間は3泊4日の沖縄旅行なみのイベントなんだね。私ってお姫さまなのかなぁ」

そうおどけると沙也加は「3泊4日沖縄バカンスを堪能させてきてやるか!!」と言って出番に向かっていった。



性風俗店で働く女性で、いきなりソープ嬢って人は少ない。

ほとんどの場合、入口はキャバクラ等の水商売だ。

そこで「女」で稼ぐという事を、理屈ではなく感覚で知っていく。

沙也加もまた入口はキャバクラだった。

沙也加は、そこで「女」らしくあれることを知った。



沙也加は比較的裕福な家に生まれ育った。

両親の望む姿を沙也加は常に意識していた。

両親が納得する子であること、それが自分の希望でもあると沙也加は信じていた。

必然、勉強もよく出来たし、高校はいわゆる進学校に入学した。


ただ、小さい頃に「わぁ~」って感じたお姫様のようにキラキラしてみたいという願望は、沙也加自身も気付かない心の深い場所で息をひそめていた。


そして、そんな願望と、大人達が望むレディにはあきらかな乖離があった。

大人達は「女」である沙也加に「女」を閉じ込めることを望んでいた。


だから沙也加は、派手な格好の同級生を見下し、派手な行動を取る同級生に嫌悪感を抱くようになっていた。

派手な格好、派手な行動、それは男に媚びること。

そう思うことが、大人達の願望に応えることであり、沙也加の心の深い部分とのバランスを取ることでもあった。


大人達はいつも、若さと美しさをもてはやしながら「女」であることを汚わらしい事だと、沙也加に伝えようとしていた。

その整合性のなさを保つこと。

その整合性のなさに納得しているフリをすること。

それが「いい子」でいるということ。


沙也加はノーメイクで出来る限り凛々しく振舞うように心掛けていた。
スカートを短くしたりなどしなかった。
それでも美人な沙也加は目立った。

電車に乗れば痴漢にもあった。

自分の中の「女」を殺しながら生きているのに…


当然、男子からも沙也加は人気があった。

素っ気なく、しれっとした態度であっても、沙也加が男子と関われば、色目を使っているだとか、時には人の男にちょっかい出そうとしてると陰口を叩かれたり、いろいろ悪い噂を流されたりした。

いろんな人に妬まれ、恨まれ、嫌な思いばかりしてきた。

沙也加がどんなに「女」を押し殺しても、世の中は沙也加本人も知らない沙也加の中の「女」を見逃さなかった。


それでもやはり、大人達は若さと美しさをもてはやしながら「女」であることを汚わらしい事だと、沙也加に伝えようとしていた。


徐々に沙也加はその整合性のなさに自分が保てなくなっていた。

沙也加の心の深い部分はその整合性のなさに一切の納得が出来なくなっていた。


そして、ついに閉じ込めていたものが弾けた。

沙也加は、好奇心と背徳感の狭間で葛藤に葛藤を重ねた末、キャバクラでバイトをし出した。

すぐに、こんないい仕事があるのかと感動した。


だって、沙也加は沙也加のままで良かった。


メイクして、ドレス着て、ヘアメイクやってもらって

笑って、愛想と色気を振りまいて、かわいくおねだりして


小さい頃に「わぁ~」って感じたお姫様のようにキラキラしてみせたら、褒められて喜ばれてチヤホヤされて

好きなだけ「女」になって良かった。


両親の価値観に媚びることなく、同級生の嫉妬に恐れることなく、威風堂々と「自分」でいられることに沙也加は衝撃的な感動を覚えた。



夜の世界に魅せられていく自分が、普通の女の子でなくなっていくような不安は確かにあった。

けれど、普通の女の子でいようとすれば自分でなくなっていくことを知り、そんなふうに自分を騙して生きるくらいなら、自分であることが当たり前の世界で生きていく方がいい。


お行儀の良い方々が、その世界をどんな目で見ようとも、自分らしく生きていきたいと沙也加は腹を括った。


夜の世界で「女」を売るために「女」になろうとする女達の中に入ってしまえば、沙也加らしくあることは極めて普通のことだった。



そこからどのような経緯を持って、沙也加がキャバクラから風俗にシフトしていったのか、僕は知らない。

さらなる一線をどのように越えたのか?

沙也加は、そんなことはどうでもよく感じる「女」だった。


ハッキリしていることは、沙也加は、より彼女の知っている憧れの「お姫様」に近付いていたってことだ。


現に、まるでお姫様かのように、男達が沙也加に会うために一生懸命になっている。

仮に、沙也加が「かぐや姫」のような無理難題を口にしても、どうにかそれに応えようとする男だって少なくないはずだ。


プライドを持った「女」は股を開いても美しい。


実際はただの強がりのレベルでしかなくても、勇ましかったり、頑なだったり、そういうイメージが付随している方が、プライドって単語に説得力が出るのは確かである。

そういう意味では、沙也加のプライドというのは迫力のある種類ではない。

けれど、沙也加は、世間が無言で押しつける貞操観念と両親の希望とに、葛藤して葛藤して、自分を見つけてこの世界に辿り着いた。

そこで、沙也加は彼女が知っている憧れの「お姫様」になったんだ。


沙也加にはふんわりした雰囲気からは計り知れない「女」としてのプライドが確かにあった。